親愛なる皆さん
2015年は突風とともに始まりました。
私たちは2014年の最後の日(大晦日)を私たちの大好きなFlinders Rangesのキャンプで過ごしました。私たちはBrachina Gorgeに泊まりました。

私たちが20kmのオフトレイル(管理された登山道のない、道なき道のハイク)をしたところです。そこで私たちはまたイエローリングテールのワラビー(野生のカンガルー)に会いました。

私たちは丘陵を徒歩でハイキングし、山に登り、Lake Torrensの白い塩の湖の美しい景色に出会ったのでした。

次の日、私たちはWilkawillina Gorge に行き、干上がった川や平原をハイクしました。岩の自然な形は素晴らしく、私にインドのコナラークの太陽神殿を思い起こさせました。

私は、私自身完璧にこの場に調和したと思いましたよ。ともあれ、私たちは大晦日を広大な大空のもとで過ごしたのです。
1月1日は帰路につくことにしました。というのは天気予報が、次の日がとても暑くなり、山火事が起こりやすい状況にあると報じたからです。
金曜日には温度は40度に上がり暑い乾燥した空気がその辺一帯に立ち込め、切迫していました。私たちは家にいて警戒し、見張っていました。

午後、煙が立ち上るや、それからはものすごいスピードで燃え広がりました。

黒い煙、白い煙が遠くに見え、ものすごいスピードで迫ってきたのです。Sampson Flat と Humbug Scrub が燃え始めました。

私たちは注意深くそれらを見つめていました。まだそれは山の向こう側で私たちよりかなり遠くだったのです。

夜中ずっとく赤く燃え続けているのを、私たちは見張っていました。
土曜日には火事は山を越えて間近に迫ってきました。火は一気に進みました。暑い乾燥した風がその進行を速めていました。

私たちは絶え間なくCFSとABCの報道する山火事の実況放送(ニュースサイト)を聞いていました。

吹き付ける風があちこちに飛び火させ、とうとう火はグメラカに入ってきて、Kenton Valley Roadと私たちのColeman Roadにまで迫ってきました。

隣人の土地でも、飛び火が草むらに着火し、燃え始めました。私たちのところまで燃え広がるのも時間の問題です。私たちは炎を見て火と闘う事が不可能だと知りました。

そこで荷造りして隣のキャベツ畑に逃げました。殆どの山に火が拡がったので、周辺の道路も不通になりました。向かいの家のJohnは「000」で緊急通報をし、私たちも通報しました。

複数の通報があれば、緊急性が高いと判断し、すぐに対応してくれるからです。間もなく炎の間に赤いErikson Sky Cranes(ヘリコプター)が飛んでくるのが見えました。

そして火事の上に大量の水を落としたのです。調整し、正確に狙いさだめてピンポイントで水を落とす…。とても印象的な光景でした。

そしてもう一機のヘリコプターが現れ、私たちの土地に水を落とし続け、ここを離れたのは、午後、ついに水がなくってどこかで水を供給するためだけでした。
私たちは、隣家でアルパカを飼っているブライアンの家が炎の中に燃え落ちるのを目の前で見ました。危機一髪のタイミングでやってきたCFSが、焼けている家からブライアンを引っ張り出さ

なければなりませんでした。彼はきっと、どうしてもそこを離れたくなかったのです。でも彼はギリギリで無事に救い出され、アルパカたちも牧場の中に逃げていて、命拾いをしました。
ヘリコプターが去った後、夜になって私たちは家へ戻りました。家は助かりました。火は、私たちの敷地内、北側の山のスロープから谷の方へ走っていきました。

そこは消防車は入れないところで、実にただ空からだけが火を止めることができたのです。私たちは交替で見張りました。一人が眠っているときは、一人は起きて周囲を見守りました。

2時間ごとに交代しました。真っ暗な夜。赤い火がKersbrook や Humbug Scrubの方から迫ってくるのが見えました。

そして私たちの草むらを見ると赤いものがわずかながら見え隠れしていて、それが大きくならないことを祈りました。私たちはもうくたくたでした。

眠る番が来たときには、頭が枕につく前に眠っていました。
日曜日の朝になっても煙はまだ丘の上に立ち上っていましたが、私たちの土地は大丈夫のように思いました。私たちは水を持って、Coleman Roadまで上がったり下がったりして、道のへりの

小さな火を消火し、大きな火は消防車を呼びました。お昼になり、昼食の席に座った時です。煙の臭いがしました。

私たちは煙のあるところに飛んでいきました。ヨルグはグメラカへCFSを呼びに車を走らせました。Johnは000番に緊急通報しました。
7台のCFS(消防車)がやってきました。私たちは火のあった場所へ彼らを案内しました。火は、深い谷間のとても近づきにくく届きづらいところにあったので、消防車を道に駐車して、 3方向か

ら、それぞれ3本の延長ホースをつなぎ、水を火が燃えている箇所まで届くようにしなければなりませんでした。上では、焼け落ちた木の枝が道路に倒れていて、車を動かすことも不可能だっ

たのです。そこで彼らは、それらすべて邪魔な木を切り、かたずけて林の中へ入っていき、そこからも水を撒いて、水タンクが空になるとグメラカまで戻って水を補充してまた作業に戻らなけ

ればなりませんでした。

彼らはすごく暑い日に(オーストラリアは日本と反対の気候)5、6時間を炎と闘わなければならなかったのです。彼らが去った後、私たちは焼けた土地の辺りを見に行きました。

でもその度に私たちはまだまだ熱くくすぶっているホットスポットを見つけました。私たちはコンテナー(ポリタンク)で水を運んでそこに注ぎました。何度も何度も―。

CFSがやってくれた素晴らしい消火の仕事にも拘らず、私たちは多くのホットスポットを見つけたのです。それを繰り返した私たちはそれから比較的安全だと判断してその夜はぐっすり眠りに

つきました。
月曜日の朝、起きて朝食を食べた後、私たちは現場を見に行きました。すべて何事もなく「OK」でした。私たちの良き友人Gerry(the Upper Torrens Land Catchmentを管理し、土地の植物

を守っている)は、彼のトレーラー、1000リットルのウォーター・タンクを積んだトレーラーで駆けつけてくれました。これに私たちの車を連結することができたので、走り回って火を消すことが

できたのです。 この大きなプラスチックコンテナーで水を運べることはとても容易であり効果的でした。ヨルグとGerryはくすぶっている木を除くためにすぐにColeman Roadに向かいました。

その時でした。 近所の人が、丘の方から私たちの土地の煙を見て、飛んできてドアを叩いて教えてくれました。私も彼といっしょに走り出ると、煙と火がすごい勢いで立ち上がっているのを見

たのです。

ただ見ていたのです。

隣人、Richard はグメラカへCFSを呼びに行きました。私はすぐに「000」とヨルグに電話しました。しかし私たちは見つめるほか何もできなかった。すごい勢いで煙と炎が燃え出ているのをた

だ見ていました。CFSが来たけれど、彼らも「何もできない」と告げたのです。

それから2機のyellow firebomber(消防飛行機)も来て、2、3時間、ずっと水を落とし続けてくれたけれど……。

彼らは私たちに告げた。「もし我々とここに留まるならばよくよく覚悟しなければならない。煙を見たらすぐにホースで水をかけて対応する。火を見たら30秒でそこから逃げる。

それができなければ今すぐここを離れなさい。」と。 私たちのために闘ってくれるCFSがいるのにどうして私たちが逃げることができるでしょうか。私たちは残った―。
火事は私たちの家から100mのところで止まった。
オーストラリアのCFS (country fire service−消防隊)はすべてボランティアです。彼らは消防士としてのプロではなく、田舎に住む、あなたや私たちのような普通の人々です。

彼らはボランティアで火と闘ってくれるのです。この山火事のために、あらゆるところからCFSが来ました。Monarto、Swan Reach、 Palmer、 Rockleigh, Ridley、 Sedan、 Birdwood そし

てもちろんGumerachaといったSouth Australia 州一帯だけでなく、New South Wales 州やVictoria 州のような離れたところからも、消防車が来ました。30を越える消防車がグメラカに集

まり、次の山火事に備えて待機していました。また、私が確信するところでは、それぞれ30以上のCFSがKersbrook、 Gorge Road地域にも待機していると思います。

私たちはこれらのボランティアの、命を懸けて山火事を止めるために働いてくれる人によって支えられているのです。私は心から彼らに感謝します。

彼らこそ本当のヒーロー“英雄”です。
しかし山火事はRetreat Valley Road、 Odea Road、 Kenton Valley Road、 Gorge Road、 Kersbrook、 One Tree Hill、 Humbug Scrub、 そして更にもっと拡がっていきました。

Cudlee Creekはほとんど破壊されました。家屋も焼け落ちてしまいました。
火曜日は最も悪い日でした。温度は38−40度、熱く乾燥していました。誰もがスタンドバイしていました。

ヨルグと私は焼けた土地を1日中歩き回っていました。ホットスポット(まだ熱くくすぶっているところ)を探しながら―。私たちはあちこちにいくつも見つけました。いかに木の根が強いか、

熱とエ ネルギーを持っていつでも火を噴く準備があることを知って驚きました。私たちは、10−20リットルの水をコンテナーで注いで火を消しました。

50回くらいその辺を水撒きで歩き回った私は、もうこれ以上何にも持ち運びすることは不可能だと思いました。でも、努力のかいがあって、もう火のついたスポットはありませんでした。

CFSが2、3時間毎にやってきてチェックしました。どんな時にでも、事はコントロールを越えて起こり得るからです。また他の場所が燃え始めます。熱い風は鎮火の助けになりません。

私たちは夜また行って、火がついていないか確かめました。真っ暗な中で、蟻塚に手を突っ込んでしまい、かまれました。今も私の指はパンパンに腫れています。
水曜日―私たちは火曜日を生き残ることができました。もう煙も火もありません。しかし朝食後またそこへ出かけました。

CFSも見に来ました。私たちは更なるホットスポットを見つけて水を注ぎました。

太陽は意地悪です。

朝の上昇温暖気流(朝、地表が暖められることにより、軽くなった暖かい空気が上昇して起きる気象現象)が始まりました。

風が吹き始めました。

私たちは心配でした。

そして雨が降った。

何という美しいその音―雲が現れ、雷と稲妻が続いた―。

そして雨―。土砂降りの―。雨は降り続きました。
自然は恐ろしい。

自然とともに生きるということは自然とひとつになるということ。

私たちの土地の20%は焼けました。黒…煙…焼け焦げ…いまだにくすぶっています。私たちは今しばらく注意が必要です。

でもそこに破壊の美があります。

私たちは助かりました。家も無事でした。
私たちの Paradise は今、完全です。
地獄をみて―。

Shakti - 2015
2015 Bushfire photo gallery of our road and land.
Erikson Sky Crane bombing our land with water and retardant